夏の 長いお別れ

前回の更新が、かのん♪6歳の誕生日♪
気になりつつも、気づけば2か月以上経ってしまっておりました。
我が家のメンバーは、みんな変わりなく過ごしています。
ただ…この夏、思ったより少し早く訪れた、母との別れがありました。

眠ってばかりで食べることもできず、6月終わりに急遽入院となった母。
危険な状態は脱して、何とかミキサー食を食べられるまでになりました。
しかし、点滴などの医療行為により回復したかのように見えるだけで
母の身体は衰えており、確実に終末へと向かっているとのことでした。

結局、点滴を含む全ての医療行為をやめて施設に戻ることにし
私たち家族は、そこでの看取りを選択しました。
施設に戻ってからの母は、口から食べたり飲んだりすることは皆無に近く
時折目を覚ますものの、一日の大半を眠って過ごす毎日でした。
そんな状態が2週間続き、8月14日の未明に穏やかに旅立ちました。

母が入院してから亡くなるまでの間、遠方に住む妹家族も帰ってくれて
実家に滞在しながら、みんなで何度も母に会いに行きました。
パッチリと目を開けてこちらを見ることはほとんどなかったけれど
私たちが母の枕元で喋る思い出話に、時折顔をほころばせてくれました。

旅立つその瞬間に立ち会うことはできませんでしたが
その2時間ほど前まで、妹とふたりで母に付き添っておりました。
母を見送る覚悟をしながら過ごす、それはそれは長い時間でした。

今は、大きな役目をひとつ終えた心からの安堵とともに
母のいない寂しさの波が、じわじわと押し寄せてくる日々です。

さて、この夏の【チーム茶色】お二方のお話を。

母の葬儀やらでバタバタしている母さんたちを横目に
妹家族の愛猫せらかのんはイイ感じ。
さり気なく近寄って「鼻コッツン」したり、そばを横切ったり。

「いつも一緒」であるかのようなごく自然な茶色さんたちの様子に
寂しさの中にある私たちは、始終和ませてもらいました。

夏の思い出 2023

今年の夏も、遠路はるばる妹一家が帰ってきてくれました。
この春に大学生となり、親元を離れて独り暮らしを始めた甥っ子も一緒です。

昨年の夏、初顔合わせをしたかのんは妹一家のことを憶えていたのかいないのかわかりませんが
比較的すんなりと馴染んでおりました。
かりんのような熱烈歓迎☆はありませんでしたが、ビビリなかのんとしては上出来です。

さて、かのんがお話ししたいようなのでバトンタッチします。

かのんです。
なんとなくなつかしような、とってもやさしいニオイのするひとたちがやってきて
みんなに、い~っぱいナデナデしてもらいました。

かあさんにそっくりなコエのひとがいて、なんかとってもアンシンしちゃって
おもいっきりよっかかっちゃった。
そうそう、ネコさんもいっしょにかえってきてて、「はなこっつん」であいさつしたよ。

それからね、またまたぶんちゃんのところへあそびにいきました。
ぶんちゃんに「あぁ、キミか。いらっしゃい!」っていわれたよ。

なんかいつもとちがう、ワクワクいっぱいなじかん。
これが「なつのおもいで」ってヤツなのかな。

初めてのお正月

この年末年始、甥っ子が受験生ということで妹一家は帰省せず
私たちだけで母さんの実家へ帰りました。
なので、年越しそばとお雑煮を食べたこと以外はいつもと変わらない
実家で過ごすのんびりとした時間でした。

実家では、和室に敷いた長座布団の上で過ごしてばかりだったかのん
今回はだんだんと行動範囲を広げ、居間に進出するまでになりました。

実家での散歩コースの土手で、かのんをパチリ☆
ここは何度となくかりんと歩き、写真をたくさん撮った場所なので
こうしてかのんを見ていると、感慨深い思いでいっぱいになります。

さて、予定通り大晦日に抜糸を済ませ、「I am free~♪」なかのん
手術をする以前の元気だった頃以上に、元気になったような気がします。
だって、遊ぶ時の動きがキレッキレ☆なんだもの~。

ワン・クッション

6年前にアルツハイマー型認知症と診断され、要介護1との介護認定を受けながらも
介護サービスを利用しつつ、なんとかかんとか独り暮らしを続けている私の母。
実家から100キロ少し離れた所に住む私は、ほぼ2週間おきに母の様子を見に帰省します。

母は今さっき話したことや体験したことを、信じられないくらい見事に憶えていません。
ですから、壊れたレコードのように同じ話を幾度も繰り返し、同じことを何度も尋ねます。
それでも、イラッとする気持ちを抑えつつ、そこそこ上手く対応できていたのです…今までは。

しかし、ここ最近、イラッとする気持ちを持て余すようになってきて
同じ話を繰り返す母と向かい合うことが、きつく思えてきたのです。
「なんで?」と考えていたら…答えが見つかってしまいました。

そうです!かりんがいないからなのです。
母との会話や対応にイラついたとしても、そこに寝そべるかりんがいたり
かりんの世話をすることで、気持ちがリセットされていたのです。

かりんは、ギスギス・トゲトゲした私の心をふわっと受け止めてくれる
柔らかくて温かい【ワン・クッション】でもあったのです。

先々月からかりんの姿がないのに、まったくもって気づく様子のない母。
かりんがいたことすら忘れてしまったの?
それでも、「あれっ、かりんちゃんは?」の一言を期待してしまいます。

足りない…ひとり

この年末年始は、積雪での通行止めを避けながら妹一家が帰省してくれて
一年前と同様、賑やかで楽しいひとときを過ごしました。
ただひとつ違ったのは…そこにかりんはいないということ。

実家の居間で、みんな揃ってくつろいでいる時のふとした瞬間
「これで全員…だっけ?」と何度も思い、人数を確認しました。
でも、間違いなく全員揃っていました。

今までも、同じ空間にいつもかりんが一緒にいたわけではないけれど
確かにかりんは存在していました。
私が「足りない」と感じたそのひとりは、かりんだったのでしょう。
妹一家を送り出して我が家へと向かう途中、今まで見たこともないような
濃くハッキリとした大きな虹が目に飛び込んできました。

「みんなイッショで、すっごくたのしかったね~♪」
お耳ペッタン、尻尾フリフリのかりんが見えた気がしました。