かのん&かりん

かりんの実が生っている様は不思議だなぁ~と、いつも思います。
似たような大きさのリンゴの実は枝からぶら下がって生るけれど
かりんはブスッと枝に刺さったみたいに生っています。

この公園では、今年はかりんが豊作のようで、決して太くはない枝に
気の毒になるくらいの数の実が生っておりました。

というわけで、かのんかりん初めての共演です。

ボールに似ているから、嬉々として遊び始めるのではないかとすこぶる期待したのですが
落っこちていた実をクンクンしただけで、かのんはまったく興味なし。
パンチを繰り出すことも、咥えて運ぶこともありませんでした。
う~ん、残念。

その後の母

続けてではありますが、今回も母のことを書きたいと思います。
かのんかりんも登場しませんが、おつき合いいただければ幸いです。

グループホーム入所から約2週間経った先週末、母に会いに行ってきました。
私の姿を見て一瞬キョトン…とした顔をしたので、「えっ?」と心配になりましたが
私のことを忘れたのではなく、どうして私がここにいるのか理解できないようでした。

母は、今は自宅ではなくグループホームで生活しているのだという意識がなくて
「毎日、デイサービスに来させてもらっている」感覚なのだと、話しているうちにわかりました。
だから、デイサービスの場に、突如として会いに来た私に戸惑ったのでしょう。

コロナ禍の名残で、面会は隔離された別室で行いますが、今回は荷物の運び込みがあったので
入所時と同じく、母の居室に入ることができました。

ご家族と同居しておられての入所であれば、帰宅願望がより強いのではないかと想像しますが
母の場合は帰宅しても独りぼっちということもあってか、家に帰りたいとは言わないようです。
職員さんと一緒に食器を洗ったり洗濯物をたたんだり、積極的にお手伝いしているそうで
自分が少しでも役に立っていると感じながら過ごしているのだと思います。

自宅で独り暮らしをしていた時も、母と私が生活を共にするのはせいぜい2~3日ではありましたが
これから先は、母と私が日々の生活を共にする機会はないと思います。
そして、グループホームの職員さんや入所者さんが、母にとって家族のような存在となるのでしょう。

母にとって私が娘であるという事実は変わりませんが、母との関わり方は少し変わってきます。
グループホームに入所して寂しい思いをするのは、間違いなく母だと思っていたのですが
どうやら…私のほうだったようです。

ところで、母のベッドの頭の上に置いてある柴犬のぬいぐるみは、おしゃべり人形です。
幼児の声で時間を知らせてくれたり、時々独りごとを言ったりするのですが
施設内では他の方の迷惑になってはいけないと思い、電池を抜いておきました。

しかし、先日の面会時に喋り出したので「?」と思ったら、電池を入れてくださったそうで
他の入所者さんにも好評で、人気者になっているとのことでした。
再び命を吹き込んでもらった柴犬コウタくん、ばぁばをよろしくね!

母の新生活スタート

今日は、このブログにも何度か登場した私の母のことをお話ししたいと思います。

8年前に初期のアルツハイマー型認知症と診断されてから、デイサービスや訪問サービスなどの
介護サービスを利用しながら、なんとかかんとか独り暮らしを続けていた母。
この8年、私は車で2時間ほど離れた実家に、ほぼ2週間おきに帰っていました。

<15歳のかりんと母>

かりんが寝たきり状態になった時、どうして歩くことができないのか、横になってばかりなのか
説明したその瞬間は理解するのですが、次の瞬間にはすっかり忘れていました。
また、かりんが旅立ってしまったことも、わかったようなわからないような感じでした。
それでも、新たに家族に迎えたかのんを見て「かりんちゃん…じゃなくて、何ちゃんだっけ?」
と私に尋ねていたので、かりんではないということはわかっていたようです。

しかし、ここ2~3年で認知症が進行してきて、独り暮らしが危うくなってきました。
母は、今自分が何をしようとしていたのか、何をするべきなのかわからない状態で
デイサービスのない日は何をするでもなく、家の中をウロウロするばかり。

そんな母の様子に限界を感じ、この春、複数のグループホームへ入所申込みをしました。
当然の如くどこも空きはなく、1年そこらは待つことになるだろうと覚悟をしていたところ
8月下旬、申し込んでいたグループホームから入所の打診がありました。
そして、先日、実家のある市内のグループホームへ入所しました。

入所を決めてから実際に入所するまでは、これで一安心という気持ちと
本当にこれで良かったのかという気持ちが入り交じり、複雑な気持ちで過ごしました。
でも、施設から送られてきた、楽しそうに過ごしている母の写真を見て
「独り暮らしは心細かったんだなぁ、本当に寂しかったんだなぁ」と改めて感じ
これで良かったという気持ちが、私の中で確固としたものになりました。

新しい生活に慣れ、不安なく過ごせるようになるには、多くの時間が必要だと思いますが
残りの人生を、母が自分らしく穏やかに過ごしてくれることを願うだけです。

初めての被り物

かのんは大層な怖がりなので、母さんが何か得体の知れないモノを手に持っただけで
ガクンと腰が引け、そそくさと逃げ出してしまいます。
なので、何かを被る…なんて~ことは至難の業です。

ところが、ある日のこと。
遠くでゴロゴロ鳴っている雷が気になり、フリーズ気味になっていたので
試しに、懐かしのコレ(被り物 -5-)を被せてみました。
(一部、部品がなくなっているけれど、そこはご愛嬌)

かりんの愛らしさには到底敵わないけれど、そこそこイケてる?