☆ 謹賀新年 2023 ☆

あけましておめでとうございます!
かのんと迎える初めての、新しい年の幕開けです。

<菊、松、千両、金柳、スプレー菊>

かりんなら、お正月仕様のお花の横にチョコンと座ってくれましたが
かのんの場合はそうはいきません。
なんてったって、見慣れないものに対しての警戒心が人(犬)一倍強いので
横に座るなんて~ことは未だに無理です。

なので、いつものくつろぎの場所で、くつろいでいる姿でご挨拶。
(年内に撮ったので、チューブ包帯をまとっておりますが)

根っからのズッコケで、我が家のお笑い担当のかのんの活躍を、大いに期待しています。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

お笑い担当

輪っか出現によるかのんのタヌキ化は、とどまるところを知りません。
換毛が落ち着いたら何らかの変化が起きるかも…と期待しましたが
余計に際立つようになってしまいました。

こうして前足をクロスさせ、お上品そうなポーズをとっていても
その顔を見た瞬間、笑いが込み上げてきちゃいます。

夏毛の間は、ずーっとこのままのような気がしてきました。

かりんは【フォトジェニック&クール】(親バカ発言☆)でしたが
かのんは顔以外のところでも、徹底して【お笑い担当】です。
次なる笑いの提供に、乞うご期待!

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<ヒマワリ、スモークツリー、アワ、カスミソウ>

ご同類対応

かりんはご同類が苦手でした。
穏やかそうな見た目とは裏腹な、かりんの威勢の良いガゥガゥを
愛犬と一緒に会ってくださった方は思い出しておられるかもしれません。

そんなかりんとは対照的に、かのんはご同類が大好きで
散歩中などにご同類を見かけると、テンションが上がります。

こんなふうに後足で立って、前足で「おいでおいで!」します。
この姿に、先方の飼い主さんは笑顔になってくださいます。

場面によっては、恐怖や不安を感じた時に自分と相手の緊張を解そうとする
ボディーランゲージ(カーミングシグナル)でもあるそうですが
かのんの場合は、ただ単にそばに行きたいだけのように思えます。

実際、そばに寄るとお互いにクンクンして平和的に挨拶します。
普通に犬同士の挨拶ができるなんて、かりんではあり得なかったことで
かのんの「良いところ」のひとつです。

<アルストロメリア、マトリカリア、ユーカリ>

当たり前と言えば当たり前ですが、かりんの魅力、かのんの魅力は
それぞれに、面白いくらいまったく違います。
私たちにとって特別な犬…であるかりんの存在は変わらずそのままですが
そこにかのんが加わったことで、犬との暮らしは更に深みを増しそうです。

閉め切らないドア

子供の頃、襖や障子などをキチンと閉めないで部屋に入ってくると
「ちゃんと閉めなさい」と厳しく叱られました。
なので、ちゃんとドアなどは閉めるようにしていたはず…でした。

でも、かりんと暮らすようになってからはドアをパタンと閉めてしまわず
ドアノブを回さなくても開けられるようにしていました。
どうしてかと言うと、かりんが鼻先でドアを押して入ってくるからです。

<本日のかりん:4歳>

ほら、こんなふうにね。

うっかり閉め切ってしまおうものなら、入りたくても入ることができず
かと言って、ドアをガリガリしたり吠えたりすることなく
ドアの外でじーっと開くのを待っていたっけ。

<クリスマスローズ、マトリカリア>

今でも、私は部屋のドアをパタンとは閉めていません。
それがクセになってしまっているというのもありますが
無意識のうちに、鼻先でドアを押して部屋に入ってくるかりんの姿を
思い浮かべているのかもしれません。

揺れる心

かりんを見送ってから4か月が過ぎました。
時々、かりんが旅立ってしまったことを知っている友人や知人から
「新しい家族は迎えないの?」と尋ねられることがあります。

「この子以上の犬はいないから…」と
数年前に旅立った、その子だけを思いながら暮らしている知人。

「再び犬と暮らしたいけれど、年齢的に不安があるから…」と
愛犬を見送られた後、新たに迎えることをキッパリと諦められた友人。

「自分がもっと若ければ、迷わず新しい家族を迎えたけれど…」
そう悩み続けておられたものの、運命的とも思える出会いをされて
成犬後期の犬を迎えることにされた友人。

愛犬を亡くすという辛くて哀しい経験をし、寂しさの中に身を置きながら
それぞれが選ぶその後(または、自然の成り行き)について
ざっくり言ってしまえば、「再び迎えるか、迎えないか」になるのかもしれません。

はて、自分はどうなのか?どうしたいのか?と言うと
前述の三者三様の気持ちが、日替わりで強くなったり弱くなったり。

<チューリップ、スィートピー、マトリカリア>

決定的となる不安要素は、年齢的なことなのかもしれません。
仮に、子犬を迎え、その子がかりんと同じくらい生きてくれたとして
最期を看取る頃には、私は後期高齢者になっています。

なので、はなから子犬を迎えることは考えていませんが
成犬を迎えるとしてもその年齢的なことや、「!」と思える出会いがあるかどうかなど
今考えてもどうしようもないことばかりを思い浮かべてしまいます。

<本日のかりん:5か月>

「犬との暮らしを卒業する」または「再び、犬との暮らしを始める」
どちらを選ぶとしても、私にとっては相当の勇気と覚悟が要ります。
私が後者を選択しようとする場合、年齢的にもそれほどたくさんの猶予はありませんが
揺れる心に身を任せながら、今はできるだけニュートラルな気持ちでいようと思っています。