かりんが旅立ってから1週間が過ぎました。
気を張っていたせいなのか、旅立ちから最後のお別れをした次の日あたりまでは
哀しいとか寂しいとか辛いとか、そういう感情に心が占領されることはありませんでした。
むしろ、やっと見送ることができた安堵感のほうが勝っていたかもしれません。
しかし、日を追うごとに気持ちが変化してきました。
寝たきり生活が長かったせいか、ふと、かりんの足音が聴こえるようなことはないけれど
外に出掛けて帰って来た時など、「かりん…鳴いているかなぁ」と思ってしまったり。
かりんがいて、かりんの世話をすることが私たちの生活の一部になっていたので
それが、ある日を境になくなってしまった喪失感は想像以上に大きいものでした。
長い介護生活で覚悟ができていたのではなく、覚悟ができていると思い込ませることで
心のダメージをできるだけ軽くしようと、自己防衛本能が働いていたのでしょう。
「数日経ってから、苦しさや寂しさがどんどん大きくなってきますから…」と
お友だちが心配してくださったとおりでした。
日によっては気持ちが少し楽になることもありますが、時々、その逆もあったりしながら
その都度、感情の波にゆらゆら揺さぶられながらの毎日を過ごしています。
今、かりんはたくさんの綺麗なお花に囲まれています。
「お花クンクン」が好きだったので、瞳をキラキラ☆させながら鼻を近づけていることでしょう。
日々、「かりんは、超・可愛かったよね~」と親バカ炸裂で、Kちゃんと思い出話をしています。
そこに笑いはあっても、哀しみの涙はほとんど出てきません。
かりんを思いながら笑顔になることで、かりんのいない喪失感は少しずつ埋められていくのだと
そう願っているからだと思います。
ただただ、驚いています。
ふんわり可愛いかりんちゃん、今頃は天国で元気に走り回ってるかな。
素敵な母さんに育てられたかりんちゃんは、とっても幸せだったね。
ずっとずっと、忘れないよ!
ちびろみさん へ
もう少し頑張ってくれるだろうと勝手に思っていたのですが
16歳を迎えるので精一杯だったようです。
思うように歩けなくなってから、ほぼ2年が経っていたので
今は自由に歩いたり走ったりできて、ニッコニコだと思います。
ブログを通して仲良くしてくださって、本当にありがとうございました。
かりんはいなくなりましたが、これからもよろしくお願いします。
お花に囲まれた笑顔のかりんちゃん
いっぱいの愛情を注いでもらって虹の橋をわたり
向こうで待っているお友達に出会って自由に遊んでいるでしょう。
もう颯斗には会えたでしょうか!?
お互い微妙な距離で観察してるかもしれませんね。(笑)
かりんちゃんとhakoさんご夫婦との密な2年間の思いでは
毎日色々ご夫婦で語り合えるほどいっぱいあるでしょう。
かりんちゃんを思い出して笑っていてあげてください。
私も颯斗を思い出して笑って過ごしたいと思っています。
adさん へ
たくさんの綺麗なお花に囲まれて、かりんは幸せ者です。
本当にありがとうございました。
もしかすると、向こうに行ってもガゥガゥかもしれないので
お友だちと会えても微妙な距離かもしれませんね~。(苦笑)
でも、そんなかりんにも颯斗くんは優しく接してくれていると思います。
かりんを思う時、できる限り笑顔でありたいと思っています。
そのほうが、かりんも喜んでくれるでしょうから。
お互い、愛しい毛むくじゃらさんを笑顔で思い出したいですね。
かりんちゃん、たくさんのお花に囲まれて
笑顔で向こうにいるお友達と遊んでるでしょうね。
我が家も今でもふくやゴンタのことで
あの時あ~やった!こ~やったって話してます。
今は本当に寂しいと思います。
でも思い出すことですごく身近に感じられると思います。
たくさん思い出話しして下さいね。
こんばんは。
hakoさんのおっしゃるお気持ち…
わかりすぎてひたすら頷きながら
胸がつまってしまいました。
自己防衛本能、まさにそんな感じです。
感情の波に揺さぶられながらも
Kちゃんさんとお二人で
かりんちゃんを思いながら
日々を過ごされる事で
少しずつ気持ちも違う形になっていくと。
お時間はかかると思いますが。
(私もまだまだ難しいところです)
黒豆健太ママさん へ
やはり、健太ママさんも同じお気持ちでいらしたのですね。
何となくではありますが、そう感じておりました。
哀しみや寂しさへの向き合い方も、人それぞれであって
また、それで良いのだと思っています。
今は、突如としてかりんのいない寂しさに覆い尽くされてしまい
自分の気持ちを持て余してしまうこともあります。
でも、ほんのちょっとずつですが、心が楽になりつつあるような
そんな気もしています。
ふくねえさん へ
たくさんの綺麗なお花に囲まれて、「えへへ♪」と照れていることでしょう。
本当にありがとうございました。
哀しみの涙ばかりではなく、笑顔であれこれ思い出してもらえることを
かりんも望んでいるだろうと思っています。
大変なことも少なくなかったけれど、今はもう、良い思い出となりつつあります。
書いてくださったように、思い出す時にはいつもそばにいてくれるのだと信じて
う~んと思い出話をしたいと思います。
お花に囲まれて、かりんちゃん喜んでるでしょうね。
日々のルーティンがぽっかり穴が開いてしまったから、喪失感がぐっと来そうです。
私の母は、半年以上入院していて、かなり覚悟していたつもりだったのですが、
やはり、元気に退院してくることを期待していたので、喪失感が凄いです。
無くなって3か月ですが、ことあるごとに寂しさがこみ上げきます。
時間をかけて埋めていくしかないですね。
そうして思い出す事が無くなった命の為になるかなと思ってます。
頑張りましょう!
yushipapaさん へ
綺麗なお花に囲まれて、かりんはニッコニコだと思います。
私たちも、たくさんの花に心安らいでいます。
そうなのです、私たちの生活にかりんの存在は不可欠でしたし
ここ2年ほどは、かりんのお世話は日々の重要なミッションでもありました。
それが急になくなってしまい、気が抜けた感じがしています。
しっかり覚悟をしているつもりでも、いざその時がやってくると辛いですね。
yushipapaさんもお母さまを亡くされ、本当にお寂しいと思います。
いつかはやってくる別れですが、胸が苦しくなってしまいます。
懐かしく笑顔で思い出話ができたら良いですね。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつ少しずつ…ですね。
人間なら、16年前に生まれた子はもう高校生。
おまけに、人間とは違ってずっと幼く、可愛い子供のまま。
それだけ長い時間を共に過ごしてきたのですから、喪失感はものすごく大きいですよね。
特に季節が一巡する迄は「去年の今頃は・・・」といちいち思い出して、切なく寂しい日が続きます。
いろんなことを覚悟していたとは言え、本当に本当に、寂しいですよね。
まるこ母さん へ
そうですね、16年という月日を改めて思うと感慨深いですね。
人間の子供は大きくなると独り立ちして、巣立っていくわけですが
我が愛犬たちは、いくつになっても子供のまんまですものね。
その子供のような存在を見送らなくてはならないのは、本当に辛いです。
でも、それが私たちが果たすべき務めでもある…のですよね。
今も、かりんがいるかのような錯覚にふと陥ることがあり
うっかり口にしてしまいそうになることも。
「もう、かあさんったら~」と、かりんに言われちゃいそうです。
hakoさん・かりんちゃん、こんばんは。
ん~今が一番つらい時だと思います。
hakoさんにとっては、一番の理解者で、無くてはならない存在だったんですから…
でも、かりんちゃんの為に、辛い最晩年を、支えたのもhakoさん。
きっとかりんちゃんは、幸せだったと思います。
高い所から、これから先もhakoさんを見守ってくれていると思います。
citrus.さん へ
おっしゃるように、旅立ってすぐよりも喪失感が大きくなってきたような
そんな感じもしています。
考えても仕方のないことは考えないようにはしているのですが
つい、「もっとできることはあったのでは?」などと考えてしまったり。
次の瞬間には頭をブンブン振って、その思いを退けるのですが…。
今は、可愛かったかりんを思い出し、う~んと笑顔になることで
かりんも喜んでくれるのだと思いながら日々を過ごしています。
かりんちゃんが虹の向こうに旅立ったと聞き私も娘も突然のことで凄くびっくりしました。
hakoさんご家族は今まで居た、かりんちゃんが居ない生活が寂しいと思いますが、かりんちゃんは、ずっとhakoのそばにいますよ。
かりんちゃんとhakoさんに一度お会いした時のことを思い出しました。
凄くおとなしい、かりんちゃん可愛いかったです。
うちのモコも15歳なので私も、その時がくることを覚悟してます。
少し寂しい日が続くと思いますがhakoさん少しづつ乗り越えたください。
もこさん へ
勝手に、もうちょっと頑張ってくれるだろうと思っていたのですが
かりんの身体は限界にきていたようです。
誕生日を迎えた数日後に旅立ってしまい、驚かせてしまいました。
そこにかりんがいないことに、まだ少し戸惑ってしまうこともありますが
かりんを思う時、いつもそばにいてくれるのだと思っています。
もこさんご一家とお会いした時のこと、よく憶えていますよ~。
かりんは最初にちょっと吠えましたが、あとは大丈夫でしたね。
モコちゃんが、優しく穏やかに接してくれたからだと思います。
モコちゃんも、もう15歳になるのですね。
どうか、モコちゃんとの時間を大切にお過ごしくださいね。