熱烈☆お食事サービスが、変化するお食事サービスになってから
4か月が過ぎようとしています。
「とにかく食べさせなきゃ!」との突き進むような思いだけで
ほぼ強制的にご飯を食べさせてきました。
強制的に食べさせることは、母さんの自己満足でしかないのでは?
ギャーギャー大騒ぎして食べるのを嫌がる姿を見ていると
そんな気持ちになってしまうこともあります。
上体を起こすこともできず、また、仮に起こしてやったとしても
その体勢が辛いようで、「やめて~」と言わんばかりに吠えます。
身体を横たえたまま、前脚と頭だけを懸命に動かしている様は
ひっくり返ってしまった虫が虚しく足掻いているかのよう。
本来嬉しいはずの食事は義務となり、楽しいはずのお出掛けも
今のかりんにとって、決してそうは言えないものとなっています。
そんなかりんを見ていると、「果たしてかりんは幸せ?」という疑問が
心の奥底からふつふつと湧いてきます。
でも、「歩けないし寝たきりだし、楽しいことなんて何もないから
生きていてもしょうがない」なんて、かりんは思わないでしょう。
かりんにとっての『生きる理由』があるとすれば、「今、生きているから」
それは、当たり前だけど、とてもとてもシンプルなこと。
不本意な食事ながらも、結局はのみ込んでくれているわけで
かりんの身体は生きようとしているのだと、そう思うことにしています。
ちゃんとゴックンしてくれるうちは、頑張って食べてもらいましょう。
母さんも、ただただ…かりんに生きていて欲しいから。
私も時折、いろいろ思いを巡らします。
耳が聴こえなくなって目が見えにくくなって
果たして私たち家族を今までのように認識して
もらえてるの?つらくないのかなぁ?って・・。
でも自然の姿のままで不自由でも毎日
朝になると目を覚まし、おしっこが出たいと
彼なりの訴え方で促してくれて寝たくなれば
ドッサと横たわり寝いちゃっていて・・。
生きているんだよね、生き抜く力が
そこにはだあるんだよね。そんな力がある限り
さいごのさいごのその時まで共に過ごそうって
そんなことを思う昨今です。
かりんちゃん、まいにちまいにちお健やかに。
れん君もマイペースで暮らしてます。
お爺ちゃんなって、とってもわがままになったけどね^^
れんママさん へ
れん君も、老犬ならではの兆候が少しずつ見られるようになってきて
れんママさんも思いを巡らせておられるのですね。
犬は人間の5倍近くの速さで年を重ねていることもあってか
その兆候が「あれよあれよ」と言う間に出現する気がします。
人間は年を重ねると、衰えた部分を嘆いてばかりですが
我が愛犬たちは自分の置かれている状況を静かに受け容れながら
シニアさんなりのペースで過ごしていますよね。
確かに、すべてにおいて若い頃と同じではないけれど
「今、この時」の姿で、私たちを見てくれているのだと思います。
ちょっと(かなり…かな?)反応は鈍くなっていますが
共に暮らす私たちの存在を感じてくれていることでしょう。
うふふ、れん君もワガママさんになったのですね。
み~んな同じですね。(笑)
それさえも愛しくてたまらない、おじいちゃん、おばあちゃんですね。
半ば強引でも口に入れればゴックンしてくれる
それはまだ 生きていたいと言うことで
ただ自分で食べる力がないだけなのではないかと
颯斗は口にもっていっても横を向き
無理やり口に入れることも考えましたが
食べたくない意思が強く口は開かなかったと思います。
もう・・ いいよ
僕は十分だよ~って言ったのだと思っています。
まだゴックンする意思があるかりんちゃんは
もう少しhakoさんの側で楽しく暮らしたいと思っているのだと
でも、自分のやっていることは…って考えることもありますよね。
その時(旅立つとき)は
かりんちゃんがゴックンしなくなりもう十分だよって
お別れの時期を伝えてくるのではなんって勝手に思っています。
だから ただただhakoさんの思いで頑張ってください。
adさん へ
そうですね。
今までのようにパクパク食べることはできなくなったけれど
食べようとする気持ちが、まったくなくなったわけではないので
食べるお手伝いをしているということですよね。
そして、そのお手伝いをイヤイヤでも受け入れているうちは
私たちも一緒に頑張りたいと思っています。
颯斗くんが頑として口を閉じ、食べたくない素振りを見せた時
adさんは、さぞお辛かったことでしょう。
たとえ、無理に口に入れることができていたとしても
食べ物を受け付けられない状態になっていたのかもしれません。
颯斗くんなりの、adさんへの意思表示だったのでしょうね。
hakoさん、かりんちゃん、こんにちは~!
かりんちゃんが嫌だというからと言ってこのまま食べさせなかったら、かりんちゃんの命は尽きてしまう・・・。
たまには連れ出してあげないと、かりんちゃんの認知症は益々加速をしてしまう・・・。
かりんちゃんが嫌がるからと言って何もしなければ、そうしたら、今以上にhakoさんは後悔をしてご自分を責めることになるのではないのかなぁと思います。
どちらにしても後悔や自責の念は付きまとうけれど、いつかお別れがやって来た時に、どちらが後悔が少なくて済むのか・・・。お別れをした後は、どんなに悔やんでも、もうどうにもならないですから。
出来るだけ良い状態でかりんちゃんに生きていてもらうために、やはり、食べさせてあげて、たまには連れて出てあげることがいいのではないのかなと思います。
かりんちゃんは(犬は)、hakoさんも書いておられるように「歩けないし寝たきりだし、楽しいことなんて何もないから生きていてもしょうがない」なんて思わない。ただ、だだ、hakoさんとKちゃんのそばにいることだけを願って(当たり前にそう思って)生きてきたし、これからも生きてくれるのだと思います。
まるこ母さん へ
私たち飼い主が後悔することのないように…と思う気持ちと
かりん自身がそれを望んでいるのだろうか…と思う気持ち。
私たち主体の選択で、無理に「生かして」いるのではないだろうかと
ゆらゆら揺れる気持ちと、俯瞰する自分がいたりもします。
でも、当然の如く、かりんが自分で自分の生き方を選ぶことはできず
私たちが良いと思う選択していくしかありませんよね。
本当に、「もう無理」とのサインが出たら仕方ないけれど
今のところ、そのサインは出ていないようなので
もう少し、いや、もっと私たちのワガママを聞いてもらいましょう。
こうして、できることをすべてやって手を尽くしたとしても
まるこ母さんが書いてくださったように、何らかの後悔は残るのでしょうね。
ぽちこちゃんを看取り、見送られた経験からのお言葉…心に沁みます。
生きることは食べることなんだよ。
ちゃんと、かりんちゃんはそれが分かってるからゴックンしてくれてるんだと
思うよ。
写真を見てても、hakoさんのお手入れが良いから、毛の艶もいいし、
見えないながらもじっと見つめてるようだし。
「まだまだ私のわがままを聞いてちょうだい」と言ってるようです。
どんだけ、あれこれ良いと思ったことをしても、どんだけ頑張っても
後で後悔をしないことなんて絶対ありません。
あの時こうすれば良かった、ああすれば良かったのかと、3年過ぎた今でも
思わない日はありません。
毎日奮闘しながらでも、暖かい体に触れるだけでも幸せと思って
いっときいっときを大事にしてください。
miiba-baさん へ
身体が辛くなると、飲み込むことさえできなくなるのだろうと思うと
嫌々ながらでも食べてくれるのは、生きようとする気持ちがあるということですよね。
そう思いながら、ギャーギャー騒ぐ姿と格闘しながら食べさせています。
できることをすべてやったとしても、後悔をしないなんて絶対にない…。
舞ちゃんを見送られてから3年が過ぎても、ずっと思いを巡らせておられるお姿に
胸の奥がキュンと締めつけられる思いです。
「今まで、もっとできることがあったのでは?」と思うことが多々あります。
ですから、今は、目の前のことを精一杯やっていこうと思っています。
こんばんは。
皆さんがおっしゃっているように
【食べる=生きる】だと私も思います。
大騒ぎしながらも
ゴックンしてくれると言う事は
かりんちゃんの生きる主張かと。
『動物は過去も未来も関係なくて
【今】を生きているんですよ』
と言われた事があります。
色んな感情が入り交じって
悩まれる事も多いかと思いますが
かりんちゃんとhakoさんとKちゃんさんのお時間が
どうかゆっくりと穏やかに流れますように。
黒豆健太ママさん へ
私たちの気持ち先行で、かりんに無理をさせている気になりがちでしたが
たくさんではなくても、ゴックンしてくれる様子を見ると
「ああ、頑張ろうとしてるんだ」と思い、ホッとします。
以前のようには食べられないけれど、それでもちゃんと飲み込んでくれる姿に
「食べること = 生きること」…を痛感する毎日です。
様々な感情が入り交じりますが、かりんに生きてほしいという思いが一番です。
ただただそれだけのため、かりんも私たちも頑張りますね。
かりんちゃんがゴックンしてくれるのは
まだみんなと一緒にいたいからだと思います。
私もあの時は、このままでいいのかな~とか
いろいろ考えたりしました。
ふくの病気とゴンタの介護と母の介護が
同時だったんで。
毎日パニクってた気がします。
でもいつかその日はやってくるんですよね。
もう少しこうしとけばああしとけばって
今でも後悔してます。
かりんちゃん、まだまだ目にチカラもあるし
毛艶も綺麗だしhakoさんとKちゃんが自分に一生懸命して
くれてることかりんちゃんは嬉しいと思います。
ふくねえさん へ
たとえ十分な量でなくても、ちゃんと飲み込んでくれるということは
身体が必要としてくれているのでしょうね。
そして、かりんも私たちと一緒にいたいと思ってくれているのなら
これ以上嬉しいことはありません。
ふくねえさんは、ふくちゃんの病気やゴンタくんの介護に加えて
お母さまの介護もあったものね。
同時に複数の大きな心配事を抱えられ、日々変化があったでしょうから
本当に本当に大変だったと思います。
悔いを残さないよう、すべてやり尽くすことができれば良いけれど
それはなかなか難しいし、たとえ、すべてをやり尽くしたとしても
何らかの後悔は出てくるのだと思っています。
それを頭に置きながら、その時その時でできることを選択して
やっていくしかないのでしょうね。
今生きているから、これからも生きよう。
それこそが命の根本ですよね。
たしかに、姿勢とか辛いかもしれませんけど、それでもごっくんしてくれるって事は、
食べる気があるって事、生きる気力があるって言う事です。
そして、hakoさんの生きていて欲しいって思いにこたえる事が
かりんちゃんの嬉しさにつながってるような気がします。
大変だと思いますが、がんばってくださいね。
かりんちゃん、頑張れ!
yushipapaさん へ
私たちは、ついつい過去や未来のことばかりを考えてしまい
「今を生きる」ことを忘れてしまいがちですよね。
かりんの姿を見ながら、そのことを改めて感じています。
そして、「もっと、今を生きなくっちゃ!」と思います。
食べっぷりは今ひとつな部分もありますが、飲み込んでくれていますし
生きようとする気持ちが伝わってくる気がします。
ただ、それに応えていきたいと思う毎日です。
かりんちゃん、生きていてほしいです。
かりん工房さんのblogを見つけてからの日々、こんなにたくさんの優しさと愛で
どんなに励まされているか✨
かりんママ様の今のお気持ち、痛いほどお察しいたします
かりんちゃんは、幸せだと思います
かりんちゃんはママ様の体温を感じて毎日ママ様からパワーを貰っているのだと思います
ララままさん へ
嬉しいお言葉、本当にありがとうございます。
遠く離れていても、ララちゃんと、かりんは同じような時を過ごし
日々を重ねているのだと思っています。
気持ちの揺らぎや不安がないと言えば嘘になるけれど
それをも含めて、かりんとの時間を過ごしていきたいと思っています。
ララちゃんも一緒に頑張ろうねっ。