豪雨の記憶

この度の豪雨で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

梅雨の時期、豪雨災害のニュースを目にする度に思い出すことがあります。

私の生家は裏手に山を背負っており、梅雨末期の豪雨で三度の山崩れに遭いました。
一度目は私が小学生の頃で、家の横が崩れただけで家屋に被害はありませんでした。
しかし、その11年後、山側の部屋と座の下に大量の土砂が流れ込む被害に遭い
さらに5年後の豪雨で、家屋が土砂に押し潰されて全壊となりました。

三度目の罹災時には両親だけが住んでいましたが、それまでの経験から早めに避難しており
危うく難を逃れることができました。
それでも、避難してから2時間後に山崩れが起きたそうです。

さて、その頃、私の生家には柴犬が2匹おりました。
外飼いだったので鎖で係留していましたが、両親は鎖を外して2匹を自由にさせてから
道路を挟んだ自宅とは反対側の場所へ避難したそうです。

雨が止み、山崩れの心配がなくなった数日後、私も一緒に現場へと向かいました。
壊れてしまった生家に愕然としましたが、私にはそれをも上回る心配なことがありました。
それは、愛犬たちのことでした。

現場に着いたら真っ先に、大きな声で2匹の名前を呼び続けました。
鎖を外し自由になっているので、本能的に逃げ伸びてくれているだろうとは思いつつも
心のどこかでは「もしや…」という不安もよぎりました。

でも、少しすると、2匹が尻尾を振りながらこちらへ駆けてくるではないですか!
泥だらけの2匹が、この数日をどうやって過ごしていたのか知るすべもありませんが
自分たちの家があった場所を離れてしまうことなく、迎えを待っていたのでしょう。

今でこそ、愛犬を連れての避難は当然のようになっていますが、30年以上も前のことなので
置き去りにしてしまったのは、仕方のないことだったのかもしれません。

その後、両親は隣市に家を建て、愛犬たちも共に暮らし長生きしてくれました。
かりんと出逢う、ずっと前の出来事です。

幸せ大放出

母さんにとってかりんの仕草や行動は、いちいち可愛くてたまりません。
その中でも大あくびは、母さんの顔と顎までが緩んでしまいます。

外れそうなくらい大きく開いた口と、何故か気持ち良さそうに閉じてしまう瞼。
たったそれだけなのに、幸せ感を蒔き散らかしています。

その幸せを、心の中でせっせと集める母さんです。

最高にカッコイイ

母さんは眠い日々を過ごしていたのですが、かりんがそれを感じ取ってくれたのか(?)
ここ数日は、夜中に起こされることのない日もチラホラ出てきました。
もしかすると、気温が下がったので、ぐっすり眠ることができているのかもしれません。
早起きは相変わらずですが、お陰で母さんの寝不足も解消されつつあります。

さて、ここのところ、かりんの体調は安定しています。
足の運びは良くないけれど、日に何度となく「うんしょ」と立ち上がり
歩くことに関しては割と積極的です。

自分の思うように、自由に動くことのできないかりんの姿を見ていると
ついつい、可哀想という言葉が頭に浮かび、口から漏れそうになります。
でも、母さんが「自由に動けないかりんは可哀想」と思ってしまったら
正真正銘「可哀想なかりん」になってしまいそうです。

ですから、可哀想という言葉は、きれいさっぱり消しちゃいました。
今を受け容れて頑張っているかりんは、最高にカッコイイもの。

母さんは眠い

母さんは、専用マットで寝るかりんの横に布団を敷いて寝ています。

少し前までは、朝までぐっすり眠ってくれていたのですが
ここ2週間くらい、ほぼ間違いなく夜中の12時から2時くらいの間に
ハァハァハァ…というかりんの荒い息づかいで目が覚めます。

「喉が渇いたのかな?」と思い、目の前に水を差し出すと
ゴクゴクと飲む時もあれば、全く見向きもしないこともあります。
そして、再び眠りについてくれるのですが…。

早朝4時くらいになって、ゴソゴソ動くような気配と微かな鳴き声で
再び目が覚めてしまいます。
この時は大抵、マットから起き上がろうともがいています。

寝ぼけ眼で様子を見ていると、部屋のドアに向かって進んでいくので
「まだ早いよ」と言いながら、抱っこしてマットの上へ戻します。
この後、大人しく寝てくれれば良いのですが、愚図ってなかなか寝てくれません。
隣の部屋へ移動させて、やっと寝入ってくれることがしばしばです。

体調が悪かった昨年の冬、夜中に鳴いて何度も起こされた時を思うとまだ良いけれど
そんなこんなの日々が続き、母さんはちょっと寝不足気味です。