もふもふ欠乏症

純粋な柴犬よりもトップコートが少なくて柔らかめだったのか
それとも、アンダーコートが多かったのかわかりませんが
かりんの毛はふんわりとしていて、とても柔らかでした。

ですから、かりんに触れると同時に「わぁ~、柔らか~い♪」と
多くの方が言ってくださいました。

<本日のかりん:9歳>

晩年は痩せっぽちになり、肋骨が浮き出るまでになっていましたが
その柔らかくてもふもふな毛のお陰で、それほど目立ちませんでした。

かりんの毛の触り心地は、今でもこの手の中に思い出すことができます。
でも、実際に触れたくて触れたくてたまりません。
只今、【もふもふ欠乏症】にさいなまれている私。
散歩している柴犬さんを見ると、吸い寄せられそうになっちゃいます。

さて、店頭には春の花々が並ぶようになってきました。

<ラナンキュラス モロッコ、スィートピー、ホワイトレースフラワー>

以前から花は好きでしたが、日常的に花を買っていけるという習慣はありませんでした。
でも今は、かりんのお陰で室内に花を飾る楽しみができました。

思い出のオモチャ箱

かりんの思い出を綴っていこうと思ったものの、はたと困ってしまいました。
それは何かというと、画像のチョイスです。

かりんがいた頃は、その時々のことをその時々の画像と共に綴っていたので
「どの画像にしようかな?」と具体的に悩むことはあったのですが
今は、書きたいことが頭に浮かんでも、イメージする画像があるのかないのか
あったとしても、どのフォルダを探せばよいのかまったくもってわかりません。

撮りためていたまんまになっていたかりんの画像を、少し前から整理し始めているのですが
あまりにも多すぎるのに加え、懐かしくて思わず見入ってしまったりするものですから
あっという間に時間が経ってしまいます。

時間を行ったり来たりしながらあれこれ画像を見ていると
鮮明に思い出せることもあれば、すっかり忘れていたりすることも。

まるで、思い出が詰まったオモチャ箱をバーッとひっくり返して
ひとつひとつ手に取っているような、そんな感覚になってきます。

さぁ~、何が出てくるかな?
少しずつ少しずつ、綴っていきましょう。
こうしている瞬間、紛れもなくかりんは私のそばにいるのです。

<本日のかりん:1歳・2歳>

3か月

かりんが旅立ってから3か月が経ちました。
3か月という月日はとても長かったような、また、驚くほどあっという間であったような
両方が入り交じったような不思議な感覚と共に過ぎていきました。

私は美味しくご飯を食べ、仕事に行き、可笑しいことがあればお腹を抱えて大笑いしますし
かりんのいない寂しさだけに浸ることなく、ごくごく普通に日々を送っています。
でも、かりんがいなくなってポッカリ空いてしまった穴は…そのまんまです。

喉の奥にずっと引っかかったまんまの「かりんのいない寂しさ」を
思い切ってゴクンと飲み込んでしまうのも、これまた寂しい気がして
何度も何度も反芻してしまいます。

絶対に哀しくなってしまうから、わざわざ思い出さなくてもよいのに
むしろ忘れてしまってもよいくらいだと思うのに
しばしば、かりんの最期の時を事細かく思い出そうとします。

それは、決してネガティブな気持ちからではなく
かりんは生きて確かにそこにいたけれど、別の次元へ旅立ったのだと
自分に言い聞かせ、それを再確認するためなのかもしれません。

かりんは変幻自在な存在になりました。
私がかりんを思う時は、いつでもどこでもそばにいてくれるのですが
この世で生きているのとは違い、私の記憶の中でしか生きていないので
やっぱり、寂しくて寂しくてたまりません。

命の灯が消えようとする時、大声で何度もかりんの名前を呼びながら
身体を撫でたり揺すったりしました。
まるで、命が尽きるのを懸命に食い止めようとするかのように。
でも、決して苦しそうではないかりんの柔らかな表情を見ていたら
ふっ…と気持ちが変わりました。
このまま静かに穏やかに見送ることが、私の大事な役目なのだと。

そうそう、別れの時、かりんの耳元で私が咄嗟にささやいた言葉は
「虹の橋で待っててね」ではなくて、「帰っておいで」でした。
はてさて、この言葉はかりんの耳に届いているでしょうか。

メモリアルスペース

昨年の終わり、かりん新しいハウスを置くスペースを設けました。
そのメモリアルスペースを整えたり、花材を選んで飾ることが
今の私の、ささやかな楽しみのひとつとなっています。

<スプレーバラ、アルストロメリア、ソリダコ、カスミソウ>

そしてもうひとつ新たに加わったグッズが、【瓶型ソーラーランタン】です。
蓋の表面のソーラーパネルを日光に直接当てることで充電し、柔らかい光が灯されます。

瓶の中に好きな物を入れて楽しむことができるので、ドライフラワーを入れてみましたら
ただでさえ柔らかい光が、更に優しくて明るい光となりました。
かりん…喜んでくれているかなぁ。

さて、1年前の今頃、かりんの愚図りや鳴き声はいよいよ酷いものとなってきていました。
寝不足で頭がボーッとした日々を送っていたことが、実際に体験したとは思えないくらい
遠い遠い昔のことのように朧気でもあります。
よくよく探してみれば、大変だった頃の記憶は頭の中のどこかで見つけることができるけれど
真っ先に思い浮かべるのは、可愛くてたまらないかりんの様子ばかりです。

「ギャーギャーでタイヘンだったころのワタシは…わすれてね。
かわいくってイイコだったワタシを、ちゃ~んとおぼえていてね♪」
もしかすると、かりんがそう言っているのかもしれません。

タイルカーペット

私は比較的あっさりしている質だと、自分では思っていました。
なので、かりんが使っていたモノを淡々と片付けてしまうのであろうと
そんなふうに頭の中で想像していました。
しかし、実際には自分の想像とはまるでもって違っていました。

かりんが使っていたモノをとっとと片付けてしまうことは
かりんの思い出をも、心の奥底に追いやってしまうような気がして
(実際には、決してそんなことはないのですが)多少は整理したものの
今もあちこちに鎮座しています。
その中でも目につくのが、フローリングに敷いたタイルカーペットです。

自力歩行は勿論のこと、自力で立つこともできなくなってしまい
それでも、懸命にハイハイしながら移動しようとした時期がありました。
足元が滑らないようにと、かりんが移動する場所だけに敷きました。

そのカーペットの上を頑張って移動し、二進も三進も…いかなくなって
どうしたものかと思案している2年前のかりんです。
この頃の、頑張るかりんの姿はたまらなく好きでした。

「よいしょ、どっこらしょ!」
匍匐前進しながら、懸命にこちらへやってくるかりんの姿が見えるような
そんな気がしてきました。