はじめまして♪

ワタシは、かのん…だそうです。
かのん!」ってこえをかけられても、なんだかサッパリわからなくて
さいしょは、あたまのなかが「?」でイッパイでした。

だって、いままでナマエというものでよばれたことがなかったから。
でも、ワタシはかのんだって、だんだんわかってきました。

ワタシのあたらしいおうちには、ふたりのヒトがいて
そのヒトたちが、ワタシのあたらしいカゾクだっていってたけど
カゾクってなんなのかも、ほんとうはよくわかっていません。

きょうは、みなさんにはじめまして♪のごあいさつです。
センパイわんわんのかわいさには、どうやってもかなわないみたいだけど
ワタシにはワタシのあいらしさがあると、カゾクのヒトがいってくれました。

ミギもヒダリもわからないワタシですが、よろしくおねがいします。

出会いは突然に

タイトルを見て、「えぇっ?!まさか!!」と思われた方も多いことでしょう。
しかし、こうして書いている私自身が、実は一番驚いているのです。

揺れる心と日々向き合いながらも、かりんのいない生活に少しずつ慣れてきて
散歩している他所の犬を、「いいなぁ~」と羨ましく思いながら過ごすのも
悪くないかもしれないと思い始めていたところでした。

そんな我が家に、不意打ちのように飛びこんできた出会い。
まだかりんが元気だった頃の私が、今のこの状況を知ったとしたら
「もう迎えるの?ちょっと納得いかない」…と思ったに違いありません。
でも、これもひとつの縁なのだろうと思うことにしました。

というわけで、あまりにも突然でビックリ☆の展開となりましたが
3月26日、新しい家族を迎えました。

2歳8か月の柴犬の女の子で、名前はかのん
ゆっくりと家族になっていく日々を、数えきれないかりんの思い出とともに
ぼちぼち綴っていこうと思います。

閉め切らないドア

子供の頃、襖や障子などをキチンと閉めないで部屋に入ってくると
「ちゃんと閉めなさい」と厳しく叱られました。
なので、ちゃんとドアなどは閉めるようにしていたはず…でした。

でも、かりんと暮らすようになってからはドアをパタンと閉めてしまわず
ドアノブを回さなくても開けられるようにしていました。
どうしてかと言うと、かりんが鼻先でドアを押して入ってくるからです。

<本日のかりん:4歳>

ほら、こんなふうにね。

うっかり閉め切ってしまおうものなら、入りたくても入ることができず
かと言って、ドアをガリガリしたり吠えたりすることなく
ドアの外でじーっと開くのを待っていたっけ。

<クリスマスローズ、マトリカリア>

今でも、私は部屋のドアをパタンとは閉めていません。
それがクセになってしまっているというのもありますが
無意識のうちに、鼻先でドアを押して部屋に入ってくるかりんの姿を
思い浮かべているのかもしれません。

夢の中のかりん

「夢でもいいから、かりんに会いたい」
そう思い続けているのに、かりんは一向に姿を見せてはくれません。
事あるごとに強く深く思っているのに…サッパリです。

そして、かりんがいなくなってから4か月半が経とうとしていた先日。
目の前の犬に、山盛りのカリカリを入れた食器を差し出そうとしている
そんな夢をみました。
その犬の顔をハッキリと見たわけではないのです。
でも、「これは多すぎない?それに、かりんはカリカリ食べられないし」
なんて思ったので、やはりかりんだったのだと思います。

私の心配をよそに、かりんはごく普通にカリカリを食べ始めました。
「あら、カリカリ食べられるじゃない!」
…と思ったところで目が覚めました。

<本日のかりん:11歳>

やっとやっと、私の夢の中にかりんが姿を現してくれました。
今度は、ちゃ~んと顔を見せてくださいな。

揺れる心

かりんを見送ってから4か月が過ぎました。
時々、かりんが旅立ってしまったことを知っている友人や知人から
「新しい家族は迎えないの?」と尋ねられることがあります。

「この子以上の犬はいないから…」と
数年前に旅立った、その子だけを思いながら暮らしている知人。

「再び犬と暮らしたいけれど、年齢的に不安があるから…」と
愛犬を見送られた後、新たに迎えることをキッパリと諦められた友人。

「自分がもっと若ければ、迷わず新しい家族を迎えたけれど…」
そう悩み続けておられたものの、運命的とも思える出会いをされて
成犬後期の犬を迎えることにされた友人。

愛犬を亡くすという辛くて哀しい経験をし、寂しさの中に身を置きながら
それぞれが選ぶその後(または、自然の成り行き)について
ざっくり言ってしまえば、「再び迎えるか、迎えないか」になるのかもしれません。

はて、自分はどうなのか?どうしたいのか?と言うと
前述の三者三様の気持ちが、日替わりで強くなったり弱くなったり。

<チューリップ、スィートピー、マトリカリア>

決定的となる不安要素は、年齢的なことなのかもしれません。
仮に、子犬を迎え、その子がかりんと同じくらい生きてくれたとして
最期を看取る頃には、私は後期高齢者になっています。

なので、はなから子犬を迎えることは考えていませんが
成犬を迎えるとしてもその年齢的なことや、「!」と思える出会いがあるかどうかなど
今考えてもどうしようもないことばかりを思い浮かべてしまいます。

<本日のかりん:5か月>

「犬との暮らしを卒業する」または「再び、犬との暮らしを始める」
どちらを選ぶとしても、私にとっては相当の勇気と覚悟が要ります。
私が後者を選択しようとする場合、年齢的にもそれほどたくさんの猶予はありませんが
揺れる心に身を任せながら、今はできるだけニュートラルな気持ちでいようと思っています。