閉め切らないドア

子供の頃、襖や障子などをキチンと閉めないで部屋に入ってくると
「ちゃんと閉めなさい」と厳しく叱られました。
なので、ちゃんとドアなどは閉めるようにしていたはず…でした。

でも、かりんと暮らすようになってからはドアをパタンと閉めてしまわず
ドアノブを回さなくても開けられるようにしていました。
どうしてかと言うと、かりんが鼻先でドアを押して入ってくるからです。

<本日のかりん:4歳>

ほら、こんなふうにね。

うっかり閉め切ってしまおうものなら、入りたくても入ることができず
かと言って、ドアをガリガリしたり吠えたりすることなく
ドアの外でじーっと開くのを待っていたっけ。

<クリスマスローズ、マトリカリア>

今でも、私は部屋のドアをパタンとは閉めていません。
それがクセになってしまっているというのもありますが
無意識のうちに、鼻先でドアを押して部屋に入ってくるかりんの姿を
思い浮かべているのかもしれません。

夢の中のかりん

「夢でもいいから、かりんに会いたい」
そう思い続けているのに、かりんは一向に姿を見せてはくれません。
事あるごとに強く深く思っているのに…サッパリです。

そして、かりんがいなくなってから4か月半が経とうとしていた先日。
目の前の犬に、山盛りのカリカリを入れた食器を差し出そうとしている
そんな夢をみました。
その犬の顔をハッキリと見たわけではないのです。
でも、「これは多すぎない?それに、かりんはカリカリ食べられないし」
なんて思ったので、やはりかりんだったのだと思います。

私の心配をよそに、かりんはごく普通にカリカリを食べ始めました。
「あら、カリカリ食べられるじゃない!」
…と思ったところで目が覚めました。

<本日のかりん:11歳>

やっとやっと、私の夢の中にかりんが姿を現してくれました。
今度は、ちゃ~んと顔を見せてくださいな。

揺れる心

かりんを見送ってから4か月が過ぎました。
時々、かりんが旅立ってしまったことを知っている友人や知人から
「新しい家族は迎えないの?」と尋ねられることがあります。

「この子以上の犬はいないから…」と
数年前に旅立った、その子だけを思いながら暮らしている知人。

「再び犬と暮らしたいけれど、年齢的に不安があるから…」と
愛犬を見送られた後、新たに迎えることをキッパリと諦められた友人。

「自分がもっと若ければ、迷わず新しい家族を迎えたけれど…」
そう悩み続けておられたものの、運命的とも思える出会いをされて
成犬後期の犬を迎えることにされた友人。

愛犬を亡くすという辛くて哀しい経験をし、寂しさの中に身を置きながら
それぞれが選ぶその後(または、自然の成り行き)について
ざっくり言ってしまえば、「再び迎えるか、迎えないか」になるのかもしれません。

はて、自分はどうなのか?どうしたいのか?と言うと
前述の三者三様の気持ちが、日替わりで強くなったり弱くなったり。

<チューリップ、スィートピー、マトリカリア>

決定的となる不安要素は、年齢的なことなのかもしれません。
仮に、子犬を迎え、その子がかりんと同じくらい生きてくれたとして
最期を看取る頃には、私は後期高齢者になっています。

なので、はなから子犬を迎えることは考えていませんが
成犬を迎えるとしてもその年齢的なことや、「!」と思える出会いがあるかどうかなど
今考えてもどうしようもないことばかりを思い浮かべてしまいます。

<本日のかりん:5か月>

「犬との暮らしを卒業する」または「再び、犬との暮らしを始める」
どちらを選ぶとしても、私にとっては相当の勇気と覚悟が要ります。
私が後者を選択しようとする場合、年齢的にもそれほどたくさんの猶予はありませんが
揺れる心に身を任せながら、今はできるだけニュートラルな気持ちでいようと思っています。

小さな雄叫び

ワクワクで気持ちが高ぶった時、かりんは雄叫びのような声を上げることがありました。
お散歩日和なお天気の日、「さぁ出掛けるよ~!」と言いながら玄関に集合した時や
そして、大好きな土手に向かって車を走らせている時など。

凄~くノリノリな時は、ビックリするくらい大きな声になりました。
それが、まるで「かぁさん!」と言っているかのように聴こえたので
かりん、『かぁさん!』って言って」と、よくリクエストしたものでした。
でも、録画しようと構えた時に限って、はかったように不発に終わってしまうのです。

やっと撮れた動画は、ワクワク度が足りなくて「かぁさん!」とは言いきれておらず
ただの小さな雄叫びで終わってしまいました。

でも、私の声を真似ようとするかのような、かりんの「わぁあん!」という雄叫びは
しっかりとハッキリと耳に残っています。
かりん12歳の頃です。

幻の家族記念日

今日2月23日は、かりんを我が家に迎えた【家族記念日】です。
でも、もうここにかりんはいないので、今回からは幻の記念日となってしまいました。

私が高校生の頃から、実家には常に柴犬がいたのですが
独立して大人になってから、自分の責任において共に暮らした犬はかりんが初めてでした。
「絶対に室内飼い」と決めていたのですが、それゆえに大変なことや戸惑うこともあり
必ずしも、最初っから「犬と暮らすこと」を謳歌できていたわけではありませんでした。

それでも、月日を重ねていくうちに当初のような大変さはなくなり
新たな驚きや喜びなど、小さな幸せが散りばめられた日々になりました。
かりんには、「犬と暮らすこと」の素晴らしさを
これ以上ないくらい、たくさんたくさん教えてもらった気がします。

<本日のかりん:8歳>

私が犬を迎えたいと思った頃、貰い手が見つからなかった幼いかりん
保護主さんに引き取られました。
この、どちらかのタイミングがズレただけで出会いはありませんでした。

私にとって、かりんは特別な犬です。
これまでも、そして…これからも。