先日、夕方の散歩から帰って来たところ
「すいません、ワンちゃんを見せていただいていいですか?」と
自転車に乗った近所のご婦人に声を掛けられました。
「ええ、どうぞ」と、かりんを連れてそばに行くと
「亡くなったうちの子によく似ているんですよ~」と
懐かしさと愛しさの漂う、優しい眼差しで撫でてくださいました。
かりんが家の中から外を眺めている姿を
通りすがりに、よく目にしておられたようです。
そのワンちゃんは柴犬で、16歳まで生きたそうですが
晩年は痴呆が出て、介護生活となったとのことでした。
「よく、看てあげられましたね」との言葉に
「いえ…看てやれるのは私たちだけですから」と
当然のことのようにおっしゃっていたのが印象的でした。
世間には、病気になったから、歳をとってしまったからといって
一緒に暮らしてきた愛犬を手放してしまう方もおられます。
でも、このワンちゃんはご家族に最期を看取ってもらえて
心からの幸せを感じていたに違いありません。
そして…この飼い主さんも、何ものにも代え難い幸せな時間を
愛犬と共に過ごされたのだと思いました。
みんなが、愛する家族と最期まで一緒に暮らせますように!
これは母さんの切なる願いでもあり、かりんの願いでもあります。
ご自分のワンちゃんを最後まで看取って…
かりんさんを見かけるたびに..
思い出していたのでしょうね…..
かりんさんが..居た事で出会えた人…
其の出会いは..よく考えると…凄い事ですよね!!
ご近所でも…お話しもせずに過ごせる今…
かりんさんを通じて…心も通じる事が出来た出会い♡
だったと思います…
私も万さんのおかげで..出会えた人が沢山います。
一緒に遊んでくれたワンちゃんが亡くなれば…
一緒に道ばたでも涙し…..その後も..
万さんの事気遣ってくれるお友達が沢山出来ました
かりんさんもhakoさんも..此れからもどんどん
今以上に、そう言う繋がりが出来る事と思います♡
本当に…良い出会い!!をありがとう。かりんさん..
ですね♡〜〜(^^)
当たり前の事が当たり前に出来なくなってる
飼い主が多いので、色々と動物にも
可愛そうな思いをさせていますね。
かりんちゃんを見てきっと可愛い家族を
思い出し、そして撫でた事で
楽しかった日々を思い出されたのかも
しれませんね。
私もこの先、来るかもしれない
老後を一緒に最後まで過ごそうと思います。
ワンちゃんを愛する者にとって
当たり前のことだと思うのですが・・・
先日のママさんの日記に夫婦で怒りを
感じてしまいました。
かりんちゃんも我が家の2匹も幸せだったと
天国に行って話ができるように、しっかり
親バカしながら楽しく暮らしましょう・・・ね
かりんちゃんの事見てその方
早く声かけたいな~って
思ってたのかもしれないですね。
かりんちゃんに触れてまたいろいろと
思い出されて懐かしかったでしょうね。
最期の最期まで傍にいたい。
私もそう思います。
万母さん へ
実は、かりんが家に来たばかりの頃の散歩時にも
「亡くなったうちの子にそっくり~」と
一度声を掛けてくださったことがあったのです。
近くに住んでいながら、それからお会いすることもなく
私もお家の前を通り過ぎておりました。
何かにつけては亡くなった我が子を思い出して
涙が出てしまうとおっしゃっていましたが
そのお気持ち…とってもわかるような気がしました。
かりんを通じての繋がりは、私にとっても大切な繋がりです。
これからもきっと、それはどんどん広がっていくと思いますし
私もそれを楽しみにしています。
エメラルドさん へ
かりんの姿に、今は亡き愛犬を重ねておられたのでしょう。
その目に薄っすらと涙を浮かべておられました。
病気になった時のこと、介護のことなどを考えると
ひとつの命を預かるということは、楽なことではありません。
でも、決して楽ではないことが多々あってこそ
絆も深まっていくのではないかと思います。
ずっと一緒にいることのできる幸せをしっかりと感じながら
この先も過ごしていきたいですね。
adさん へ
愛犬の最期をしっかり看取られる方がおられる一方で
残念な結果になってしまうケースがあるのも現実です。(苦笑)
動物と暮らすことの大変さは勿論ありますが
それを乗り越えたところでの幸せを
私は…味わって欲しかったと思いました。
幸せな日々を笑顔で思い出すことができるように
毎日を大切に、愛犬と過ごしていきましょう。
ふくねえさん へ
以前、一度声を掛けていただいたことがあったのですが
2年ちょっとぶりにお会いすることができました。
かりんも何かを感じ取ったのか
その方に親しげに顔を近づけておりました。
いろいろと至らない飼い主ではありますが
最期まで一緒…これだけは何があっても守ります。
そのご婦人と暮らしていたワンちゃん、幸せですね。
ずっと、大好きな家族と暮らせたのね。
病気になったから、歳を取ったから….。
そんな理由で手放されるワンちゃんがいるのは、本当に
信じられない事ですね。
想像はしたくないけど、いつか、やって来てしまう愛犬との別れ。
我が子が、幸せに旅立てるように、ちゃんと最後まで介護をして
あげられるように、自分も元気でいてあげなくっちゃ…、
と強く思うあずままです。
まったくその通りですね。
今、まさにウチの子(柴犬・16歳と半年)が寝たきりとなり、排便・食事もままならない状態です。
家に来てくれた時の事。大雨で外の小屋で泣き止まず、それ以来、家の中で生活するようになった事。
他の犬と喧嘩した勢いで、私の足に噛み付いた事。
色々思い出しながら介護し、少しでも楽に生活が出来るように過ごしております。日々、弱っていく姿・軽くなる体重を肌で感じ、身に迫る思いですが、家に来てくれた感謝を込めて接しております。
本当にその通りですよね。考えさせらます。この方は私も知ってる方です。よく最後を診られました。なかなか立ち直れない、と言っておられました。その柴犬も知ってますよ。最後を診たくないから・という理由で保健所に持ち込まれる方がおられるのが信じられません。介護は大変ですし覚悟も要りますが、ちろをもっと診たかったとも思いました。「うちの子によく似てる」と言われて泣かれると、、感慨無量ですよね。あの窓から外を見ているかりんちゃんは可愛いですからね・・。
当たり前のことが、当たり前と思わなくなったのか。
そう出来なくなってしまったのか。。。
hakoさんが書かれていた悲しい現実のニュースを。
つい先日、目にしたばかりです。
言葉は喋らなくとも気持ちがあること。
そんな当然のことを、汲み取れない一部の人が。
時間も長さも関係なく、簡単に手放していました。
ご婦人の心の中には、未だに生きておられるのでしょうね。
幸せなワンちゃんだったのだろうと、hakoさんの文章を通じ。
感じさせていただきました。
家族なのだから。
良い時ばかりではないことを、心の何処かに置いて欲しい。
hakoさんの願いかりんちゃんの願いは。
私もずっと忘れずにいたいです。。。
あずままさん へ
こちらが想像する以上に介護は大変だったでしょうが
懐かしく、愛しく思い出されるということは
お互いに幸せな時間を過ごされたのだと思います。
動物を飼養するということは、命を預かることですから
その命に、最後まで責任を持たなくてはなりません。
動物と暮らす全ての人達の意識がそうであったなら
不幸な動物たちは、もっと少なくなるのに…。(苦笑)
愛犬との別れは、できれば想像したくないことですが
その時、お互い「ありがとう!」と言えるように
愛しい時間を積み重ねていきましょう。
そうそう…私たちも元気でいなくちゃね。
ケン。さん へ
現在、愛犬の介護をしておられるケン。さんのお言葉が
とてもとても心に沁み入ります。
寝たきりになったその姿に触れながら
せつなくなるような、お辛い日々だと思います。
でも、それを全てそっくりそのまま受け容れておられ
私は頭の下がる想いでいっぱいです。
今まで一緒に過ごされた諸々の時間があってこそ
楽しいこと辛かったことがあってこその今…なのでしょうね。
きっと、桃太郎くんも沢山の思い出に浸りながら
心は幸せで満タン♪だと思います。
桃太郎くんの身体が少しでも楽になりますように
遠くからですが、願い祈っています。
momomamaさん へ
ご存知の方だったのですね。
「未だに、納骨できないままなのですよ~」と
とてもせつなそうにおっしゃっていました。
確かに、最期を看取るのは覚悟の要ることでしょう。
でも、家族と最期まで一緒にいることは
動物たちも望んでいることだと思いますし
ひとつの命を預かった者の責任でもあると思います。
「ちろをもっと診たかった」とおっしゃるお気持ち
凄くわかる気がします。
ちろちゃんはmomomamaさんのことを思い、長く患うことなく
虹の橋へと旅立って行ったのかもしれませんね。
arさん へ
哀しい現実を見聞きする度に
「命の重さは何処へいってしまったのだろう?」と
せつなくて、残念な気持ちでいっぱいになります。
動物と暮らすということは、ひとつの命と暮らすわけですから
こちらにとって、決して良いことだらけではありません。
でも、全てをひっくるめた毎日の積み重ねが
お互いの絆となり、愛情となっていくのだと思います。
このご婦人も、亡くなったワンちゃんも
かけがえのない幸せな時間を過ごされたのだと思いました。
その姿に、未来の自分の姿を…そっと重ねました。