私は比較的あっさりしている質だと、自分では思っていました。
なので、かりんが使っていたモノを淡々と片付けてしまうのであろうと
そんなふうに頭の中で想像していました。
しかし、実際には自分の想像とはまるでもって違っていました。
かりんが使っていたモノをとっとと片付けてしまうことは
かりんの思い出をも、心の奥底に追いやってしまうような気がして
(実際には、決してそんなことはないのですが)多少は整理したものの
今もあちこちに鎮座しています。
その中でも目につくのが、フローリングに敷いたタイルカーペットです。
自力歩行は勿論のこと、自力で立つこともできなくなってしまい
それでも、懸命にハイハイしながら移動しようとした時期がありました。
足元が滑らないようにと、かりんが移動する場所だけに敷きました。
そのカーペットの上を頑張って移動し、二進も三進も…いかなくなって
どうしたものかと思案している2年前のかりんです。
この頃の、頑張るかりんの姿はたまらなく好きでした。
「よいしょ、どっこらしょ!」
匍匐前進しながら、懸命にこちらへやってくるかりんの姿が見えるような
そんな気がしてきました。
hakoさん、かりんちゃん、こんにちは。
カーペットの上にちょこんと座り、さてどうしようかな・・・と思案しているような表情のかりんちゃんがとても愛おしいですね。
お別れをした直後は、まだ大きな緊張状態にあるためか、脳内でショックを和らげるための麻酔のようなものが分泌されるからか、暫くの間は割合冷静でいられる期間があるらしいのですが、その間に私も、少しだけまるこの使っていたものを処分しました。しかし、麻酔が切れた後はもう何ひとつ捨てることが出来なくなりました。
ですから、殆どのものは残したまま。「思い出をも、心の奥底に追いやってしまうような気がして」というhakoさんのお気持ち、よく分かります。
目にする度に、在りし日の姿が浮かんで辛くなるのにね。
このまま暫くは、置いたままになりそうです。
それでいいんだよね。
まるこ母さん へ
この頃のかりんは思うように動けないだけで、意識はハッキリしていました。
「どうして歩けないんだろう?」と自分でも不思議に思いながら(?)も
頑張って動こうとする姿が、とても健気で愛らしかったです。
大きな哀しみと向き合うことになった当初、意外にも冷静でいられたりするのは
書いてくださったようなことが、脳内で起きているからなのでしょうね。
まるこ母さんも、その間に少しだけ片づけをされたのですね。
私もまったく同じで、かりんを送りだしてからの数日は何かにとりつかれたように
部屋を片付けたり、かりんの物をひとつにまとめたりして過ごしました。
でも、間際まで使っていた物はどうしても片付けることができず
飲んでいたサプリは、未だに冷蔵庫にそのまんまになっています。
きっと、無理に片付けてしまう必要なはいのだと思います。
もしかすると、ずっとこのままになっちゃうかもしれませんが
それはそれで良いのかな…と。
お互いにね。
我が家もふくやゴンタが使ってた物
ある程度は整理したんだけどまだ少し置いてます。
そ~なりますよね。
かりんちゃんがこのカーペットの上を
一生懸命移動してたとなると
尚更置いたままにしときたいですよね。
ふくねえさん へ
ふくちゃんやゴンタくんが使っていた物…まだ少し置いてあるのですね。
その気持ちは本当によくわかります。
見ると思い出して寂しくなってしまうことはあるかもしれないけれど
きれいさっぱり片付けてしまうのも、何となく寂しかったり…。
カーペットの上を懸命にハイハイしていた姿はとても健気で
手を貸したい気持ちを抑えつつ「がんばれ・がんばれ!」と言いながら
見守っていたものです。
あぁ~、懐かしい!
片付けするのは前に進むことですが、
やっぱり、思い出を捨てていくようで、なかなかできないですよね。
母が亡くなって半年になりますが、なかなか片付けができません。
かりんちゃんは生活と密着していただけにひとしおですよね。
ゆっくりゆっくり整理すればよいと思います。
yushipapaさん へ
片付けることで気持ちが整理できて良い場合もあると思いますが
おっしゃるように、思い出を捨ててしまうような、蓋をしてしまうような
そんなふうに感じてしまうこともありますよね。
そろそろ片付けようか…と思う時がいつか来るかもしれませんし
ずっとそのままになるのかもしれません。
でも、そんな自然な気持ちの流れに任せてみようと、私は思っています。
今はまだ、懐かしく思い出すことがいっぱいで、それらを噛みしめながら
日々を過ごすことにしています。