かりんが旅立ってから1年が経ちました。
旅立つまでの約2年間は介護状態で、そのうちの1年はほぼ寝たきりでした。
この間、下痢が1か月も止まらなかったり、昼夜を問わず鳴き続けたり。
これに日々の食事の介助などが加わって、本当に慌ただしい毎日でした。
「かりんに生きていてほしい」という、ただただその気持ちだけで
最後の2年を走り続けていたような、そんな気がしています。
<かりん:10歳>
かりんがいなくなり、母さんの心にポッカリと空いた大きくて深い穴。
月日が経ち、かのんという新しい家族を迎えた今も、いまだにそのまんまですし
これから先も決して埋まることはないでしょう。
だって、このポッカリ穴はかりんでなくては埋まらないのですから。
<かりん:7歳>
それでも、今はポッカリ穴の周りをウロウロするズッコケかのんの姿が目に入ってしまうので
その穴と正面きって向き合う辛さや寂しさが、少し和らいでいるというのが実感です。
かのんとの暮らしを始めたことでかりんのことをを強く思い出すこともあるけれど
大好きなかりんの記憶が薄らぎつつあるような気もして、それに対する焦りと申し訳なさとを
心のどこかで感じている自分もいます。
確かにココにいたけれど、今は思い出の中で生き続けているかりん。
記憶が薄らいでしまったかのように思えたり、かと思うと再び色濃く思い出したりと
その時々でのかりんを感じながら、これからの月日を重ねていくのかもしれません。
hakoさん、かりんちゃん、かのんちゃん、こんにちは!
長くて、でも、短かったような・・・寂しくて、不思議な感覚の1年でしたね。
まることの別れの後2ケ月も経たない時に、今度はかりんちゃんがお空組になり、ずっとhakoさんと同じ想いを共有してきましたね。
新しい子を迎えたのも偶然ですが、同じ頃でした。
ですから、hakoさんの今回綴っておられるかりんちゃんへのお気持ちは全くと言っていいほど同じです。
かのんちゃん・ゆきを迎えましたが、かりんちゃん・ぽちこ・まるこはいつまでも私たちの大切な子。きっとこれからもそばに居てくれると思います。
まるこ母さん へ
本当にココにいたのだろうかと思ったり、凄く昔のことのように思えたり
かりんがいなくなってからの月日の経過は、何とも不思議な感覚でした。
時間をかけての旅立ちだったこともあって、ゆっくりと気持ちを整理しながらの
どちらかと言うと穏やかな別れだったと思っています。
今はかのんがいてくれるので、再び犬と一緒の生活を送ることができて
これも、かりんが巡り合わせてくれたのだろうと思いながら過ごしています。
お互いに、空組さんの愛犬たちと共に日々を楽しく過ごしていきたいですね。
かりんちゃんが空組なり早いようで… 短いようで…
よく分からない1年が過ぎますよね。
その寂しさをかのんちゃんが少しずつ距離を縮め
そっけなくしたり 甘えたり けっこう上手に
hakoさんの気持ちを揺さぶっているような気がします。
かりんちゃんとかのんちゃん
それぞれの持ち味があって2つの楽しみを味わえる
我が家は3つの楽しみを味わっています。
これからも親バカ全開で思い出をいっぱい作りたいですね。
adさん へ
かりんを見送ってからの月日は、本当に不思議な感覚で過ぎていきました。
でも、かのんを迎えてからは、かりんにはなかった大変さに振り回されて
良い意味で、寂しさを忘れさせてくれていたと思います。
みんなそれぞれがオンリーワン☆ですものね。
それぞれの魅力を味わいながら、一緒に楽しく過ごしていきたいですね。
かりんちゃんが亡くなって1年ですか‥私もマサムネが居なくなってからの日々が長かったのか、短かったのか分からないくらい、いっときも寂しさから解放されない日々を過ごしていました。
でも極最近、かおるの老化を思い知る事態が続き、ここに来てかおるが愛しくて仕方のない感情が湧いてきました。それにつれマサムネの匂いやずっしりとした重さなど濃厚な思い出が薄れてゆくのを感じ、焦りや申し訳無さをhakoさん同様に感じたりもしました。
でもきっとそれで良いのですね。もうマサムネのお世話はしたくても出来ない訳で、目の前の相手を大切にしたいと思います。
マサムネファーストだった介護時代かおるはほったらかしでした。寂しいのを我慢していたと思います。💦でも今は正真正銘かおるファーストです。
おばあちゃんになってかおるのツンデレに拍車がかかりました。かのんちゃんみたいにもたれかけて甘えてくれたりしません💦
さちさん へ
かりんが亡くなり、かのんを迎えるまでの約5か月の時間感覚は何とも不思議でした。
どちらかと言うと、かりんを見送ったのがずいぶん昔のことのように思えたのですが
それに反して、ついこの前のことのように思っていた気もします。
かりんの記憶が少しずつ薄らいでいくことに言いようのない気持ちにはなるのですが
それは自然の流れであり、心のままにあればよいのだと思っています。
記憶は薄らいでも、その存在は確かに心の中にあるのですから。
マサムネくんファーストから、今は全身全霊でのかおるちゃんファーストへ。
そんなさちさんの姿に、マサムネくんも穏やかなお顔で「うんうん♪」と頷いて
くれていることと思います。
あらまぁ、かおるちゃんのツンデレに拍車がかかったそうで
それはちょっと、いや…凄く寂しいですね。
でも、また思い出したように甘えてくれることもあるかもしれません。
それに期待しましょう。
うちも3年たちましたが、長いのか短いのかわかりません
自然な心のままでいいと思います
きっと、ず〜っと思い続けていくものなんだと思います
大好きな言葉に桜梅桃李ってあるんですが
かりんちゃんはかりんちゃん
かのんちゃんはかのんちゃん
それでいいと思います
そのうち、かりんちゃんの穴にかのんちゃんがハマって
ひょっこり顔出してるかも
ぽんぽこさん へ
くうたくんが旅立ってから3年になるのですね。
もしかすると、1年経っても3年経っても10年経っても変わらないのかもしれませんね。
書いてくださったように、その時々の心のままで良いのでしょうね。
思い続けていくことには変わりないと思いますから。
【桜梅桃李】…とても素敵な言葉ですね。
そうありたいと思いながらも、つい諸々を比べてしまいがちな自分の心に
「もう…っ」とダメ出しする毎日です。(苦笑)
でも、かりんとかのんは、それぞれにそれぞれの素晴らしい長所が盛り沢山で
まったく違うからこその魅力を感じさせてもらっています。
かりんのポッカリ穴から、かのんがひょっこり顔を出しているのを見たら
「あら、落っこちたでしょう?」と言ってしまうかもしれません。(笑)
かりんちゃんがお空に行って1年ですね。
私もふくとゴンタを思い出さない日はないです。
でもまた思い出すのが楽しかったりもします。
こんなんやったあんなんやった~って!
かりんちゃんもこれからもずっと
思い出の中で生き続けてくれますね。
ふくねえさん へ
旅だってから何年経ったとしても、何かにつけて思い出すのでしょうね。
お互いに、ふくたくんを見ながら、かのんを見ながら…ね。
空組さんにとって、楽しく思い出してもらうのが何より嬉しいことだと思います。
かりんの思い出が、かのんによって上書きされることはないけれど
少しずつ薄らいでいっているのも事実です。
でも、いつも一緒にいて見守ってくれていると思っています。
かりんちゃんの思い出が薄れていくのは寂しい気もしますね。
でも、素敵な思い出を時折思い出すだけになってくるとかりんちゃんも安心かなって思います。
ぽっかりあいた穴には、かのんちゃんがどっぷりはまっている様子をみると、
かりんちゃんもにっこりしてそうですね。
1年、早いですね。さくらが旅立って3か月、やっぱり早いです。
yushipapaさん へ
月日の経過とともに、少なからず思い出は薄れていくのでしょうね。
それを寂しく思いはするけれど、自然の流れなのだとも思っています。
かりんをしみじみ思い出す前に、かのんの姿が目に入ってしまうので
しんみりと暗くならないでいられます。
また、かのんがいてくれることで、かりんのことをより思い出す気もします。
さくらちゃんの旅立ちから3か月…やはり早く感じられるのですね。
今は、まいちゃんがそばにいてくれて、再びお家が賑やかになりましたね。
さくらちゃんもニコニコしながら見守ってくれているでしょうね。
かりんちゃんが虹の橋を渡って一年ですね。
ぽっかり空いた穴は、どんなに埋めようとしても
埋めれるものではなくて、無理して埋めなくても
いいのでしょうね。ぽっかり空いた穴を吹き抜けて
行く諸々の風を、やんわりとしてくれたりするのが
かのんちゃんだったり、かのんちゃんとの暮らしだったり
するのでしょうかね。ぽっかり空いた穴はhakoさんの
心の勲章♡この先ずっと共に過ごしていくんですよね。
れんママさん へ
書いてくださったとおり、ポッカリ穴は埋めなくてはならないものではなくて
紛れもなく、かりんがそこにいてくれたという証のひとつなのでしょうね。
いつの日か、その存在が辛いだけのものではなくなるのかもしれません。
そして、それを手助けしてくれているのが、かのんの存在です。
かりんとはまったく違うけれど、それだからこそ、かりんを懐かしく思い出しながら
毎日を過ごすことができています。
かりんちゃん、もう一年なのですね。
うちは介護はほぼなかったものの、お気持ちよくわかります。
いつまでもいつまでも可愛い我が子?可愛い家族ですもの!
こまかいことは忘れることはでてきても、何かの拍子にふとしたことまで思い出されるものです、、、
hakoさんのおうちで、家族で、間違いなくかりんちゃん、幸せに過ごしてましたよ、うんうん。
さりままさん へ
かりんのいた日々が、まるで夢の中の出来事のように思えることもあるけれど
ココにいてくれていたという証が数えきれないくらいあって
改めて、その存在を感じる毎日です。
我が家は介護状態が長く続いたので、少しずつ心の準備をすることができましたが
体調が急変し、はぼ介護なく見送られるというのは本当にお辛かったと思います。
そうそう、ふとした時に些細なことを思い出したりしますよね。
思い出の宝箱の中には、数えきれないくらい詰まっていますから
これからも「あら!」という感じで飛び出してくるのかもしれませんね。
寿命には抗えませんが、少しでも長く・・・という気持ちはとても尊いと思います。
それは、かりんちゃんにも伝わっていたと思いますし、
だからこそ、かりんちゃんも頑張ったんだと思いますね。
ぽっかり空いた穴は埋まりませんが、その分、私たちは優しくなっているのかも・・・。
pentallicaさん へ
何歳まで生きてくれたら、「寿命だった」と穏やかに言えるのでしょうね。
もしかすると、長寿であったとしても何かしら心残りはあるのかもしれません。
ただ、一日でも長く一緒にいたいと思う気持ちは強くありますよね。
ポッカリ穴を抱えている分、優しくなることができていたら良いですね。