愚図った時は

ここ最近、鼻声でクーンクーン鳴いたり、大声でギャンギャン鳴いたり
かりんはしょっちゅう鳴き声を出すようになりました。
「喉が渇いた」「お腹が空いた」など、その理由がわかる時もあるけれど
何を言いたいのかサッパリわからないことのほうが多くなりました。

そんな時は、話しかけながらゆっくり身体を撫でたりさすってみたり
はたまた、居場所を変えてみたりします。
そうすると、少し落ち着いてくれることもあったり…なかったり。

数日前から気温が下がり、エアコンなしで過ごせるようになったので
愚図った時、1階の和室のサッシを開け窓際に移動させてみたところ
外を眺めたりしながら、しばらく静かにしてくれるようになりました。

時折、かりんの横に並んで伏せて、母さんも一緒に外を眺めます。
ボチボチ…外にも出掛けたいね。

久しぶりの氷

ここのところご無沙汰していた氷を、思い出したように与えてみました。

反応ないかも…と思いつつ、念のため小さめに砕いて差し出しましたが
鼻先に触れる冷たさで「!」と思ったのか、食べてくれました。

大好きな氷を、奥歯でカリコリと噛み砕く音を耳にする時。
そして、美味しそうに目を細めたかりんの表情を目にする時。
そのひと時、あらゆる心配事が氷のように融けていきました。

認知症も

引き続きご心配をおかけしているかりんの体調ですが
高度を少し上げたり下げたりしながらも、低空飛行で落ち着いています。
脱水症状はないものの、少ししか食べない状態が続いていたので
昨日は、病院で皮下補液をしてもらいました。
そのお陰で、昨日から今日にかけては比較的しっかりしています。

さて、今回、再び食べなくなってしまった時の様子を思い浮かべると
昨年の12月頃とは、少しばかり違っていることがありました。
普通、食べ物が目の前にあると鼻を近づけて匂いを嗅ぎますが
全く嗅ごうともせず、見事なまでに無反応なのです。

そんなふうなことを、ドクターにつらつらと話したところ
「食べ物だと認識していないのかもしれない」と言われました。
つまり、慢性腎臓病の症状でもある悪心による食欲不振ではなく
認知症の症状のひとつかもしれないのです。

しかし、ふとした瞬間、急に食べ始めることもあったりするので
それを逃さないようにするしかありません。
またしても、あの手この手を使いながらかりんの食事に臨んでいます。

認知症のばぁばは食べたことを忘れ、また食べようとする傾向にあります。
かりんも、それくらいがいいなぁ~。

ふりだしに戻る

先日、「ゲンキになりました」と書いたばかりなのですが
実は…数日後には再び食欲がなくなっておりました。

自力で飲んでくれていた高栄養リキッドもサッパリ飲まなくなり
仕方なくシリンジ(注射筒)で口の中に注入しています。
熱烈☆お食事サービスをしても、口の中がすぐに満員御礼状態。
また、食べてくれそうなものを鼻先や口先に持っていっても
哀しいくらい知らんぷりです。
体重は一気に落ち、昨年12月の時と同じく7キロを切ってしまいました。

それでも、時として思い出したように食べてくれることもあるので
そのタイミングを逃さないよう、手を変え品を変え頑張っています。

再び「ふりだしに戻る」になってしまったけれど
一マスずつ…地道に積み重ねていこうと思っているところです。

事実とは言え、かりんの体調が今ひとつで、どうしても湿っぽい内容になってしまう時
ブログを更新する手は、ついつい止まってしまいがちです。
それでも、そんな時だからこそ、明るくしれっと話したい!と思う母さんです。

珍道中

普通に動くことのできていた頃のかりんは、車に乗ってどこかへ出掛けるのが大好きで
「母さんのブッブーでお出掛けするよ!」と言うと、喜びの雄叫びをあげるくらいでした。
しかし、身体が思うように動かなくなってからだんだんと様子が違ってきました。
車に長時間乗せていると、大きな声で鳴いたりして愚図るようになったのです。

再びの体調不良の1週間ほど前、かりんと母さんだけで実家へ帰りました。
後部座席に敷いた長座布団の上に乗せ出発しましたが、30分ほど走るとピィピィ鳴き出し
モゴモゴ・ゴソゴソと動き始める気配が。
信号待ちで後ろを見ると、座席から下りようとしているではありませんか。

このままでは危ないので近くの道の駅の駐車場に入り、どうしようかと散々悩んだ挙句
助手席の背もたれを倒して長座布団を置き、母さんの隣に座らせました。
(※ 衝突したり急ブレーキをかけた時などは、とても危険なのですが…)

すると、とりあえず落ち着いたようで、丸まって眠り始めました。

昔に比べ、車に乗ることがちょっぴり苦痛になってきているかりん
隣に座って、愚図ったら体勢を少し変えたり、撫で撫でしながら話しかけたりするのが
現在の長距離ドライブの時の過ごし方になっています。
ですから、母さんの姿が見えなくて不安になったのかもしれません。

道中バタバタではありましたが、これさえも愛しい思い出のひとつとなるに違いありません。