肉球クリーム

なぜ今頃、肉球クリーム?
…なのかと言うと、撮影したものの投稿しそびれてそのまんまになっていたのです。
もうかりんはいないけれど、記録として残しておこうと思います。

普通に歩いていれば足裏の古い角質は少しずつ削れ、必要以上に厚くはならないのでしょうが
かりんの肉球の角質層は分厚くなり、ガッチガチに硬くヒビ割れたみたいになっていました。
まるで劣化して硬くなったタイヤみたい。
そして、たまに角質の小さな欠片が落っこちているのを目にするようになりました。

気になったのでドクターに相談したら、獣医師監修の肉球クリームを取り寄せてくださいました。
質感は、私がここ数年愛用しているオーガニックシアバターとよく似ていて硬めなのですが
指先で表面を撫でていると、体温で少しずつ柔らかくなります。

大豆種子油・植物油が原料なので当然の如く舐めても安心。
けれど、この頃のかりんは自分の足を舐めることすらできませんでしたから
クリームは舐めとられることなく、その成分は100%肉球に浸透していきました。

塗った翌日あたりから、硬い角質が少しずつ柔らかくなりポロポロ取れるようになりました。
赤い矢印がガッチガチ状態の角質で、青い矢印がガッチガチの角質が取れた部分。
分厚い角質が取れたあとに顔を覗かせたのは、元気な肉球でした。

ガチガチの肉球になってから、かりんの足裏は香り立つニオイが全くしなくなっていました。
「ニオイが枯れたのかなぁ」などと思っていたのですが、分厚い角質が蓋をしていたようで
角質が取れたあとの肉球からは、ほんのりと懐かしいニオイがしました。

クリームを使い始めたのが10月の初旬なので、ほんの少し使っただけになってしまいました。
塗る時に取れた角質の欠片が私の指先にくっつき、黒い点となりクリームに埋もれています。
もう使うことはなくなってしまったけれど、時々蓋を開けて眺めています。

かりん出現?

かりんと寝床を並べて寝ていた一階の和室で、主のいなくなった空っぽの寝床を横に敷き
そこにいたかりんを頭に思い浮かべながら、私は寝ています。

ある晩、そろそろ寝ようと和室に入ったら、ふと、強くハッキリとかりんのニオイがしました。
かりんがいなくなってからは、そのニオイはすっかり消えてなくなってしまっていたのに…。
次の瞬間、「あっ、今ここにかりんがいるんだ!」と思い、涙が出そうになりました。

…が、また次の瞬間、その種明かし(?)に気づいてしまった私。
でも、やっぱり気づかなかったことにしておきましょう。

今夜は、ラグの上にかりんが出現!

………なんちゃって~。

私がラグの上に指でチャチャッと描いたかりんでした。
じーっと見ていると、ふとこっちを向いてくれそうな、そんな気がしてきました。

ソラグミかりん

かりんです!
【ソラグミ】さんになってから、1かげつになりました。
こっちには、おともだちがいっぱいだからさみしくないけど
かあさんたちはどうしているかなぁ~っておもいます。

でもね、ワタシはしっています。
かあさんがワタシのおふとんをヨコにしいて、ねんねしてるってことを。
ワタシにはきこえています。
ウォーキングしながら、かあさんが「かりん!」ってよぶこえが。

かあさんがゲンキじゃなかったり、なんとなくかなしそうだったとき
ワタシはシンパイになって、「かあさん、だいじょうぶ?」って
マエアシでちゃいちゃいしてました。

でもいまは、かあさんにさわれないし、ワタシにもさわってもらえないから
かあさんがかなしそうにしていても、まえみたいにできません。
だからね、ゲンキでいてほしいし、ニコニコわらっていてほしいです。

ワタシをおもってくれているとき…
ワタシはいつだって、かあさんたちのそばにいるんだもん♪

健康手帳

我が家に迎えてから15年8か月の長きにわたり
かりんは一人のドクターにずっと診ていただきました。
ドクターは中学の時のクラスメイトで、友だちでもありました。

犬と暮らせる環境になり、真っ先に相談したのがドクターで
「飼い主を募集している犬がいたら教えて」と、お願いしていました。
程なくして、当時、個人で犬の保護活動をしている方を紹介してもらい
かりんとの縁が繋がったというわけです。

さて、お世話になった病院には【健康手帳】なるものがありました。
犬猫と暮らす上で、飼い主が知っておくべき病気のことなど
ドクター自身の言葉でわかりやすく丁寧に書いてあります。
そして、そのあとに続く、罫線が印刷された空白のページには
来院日ごとに、その内容等が簡潔に記されます。

2006年4月1日:混合ワクチン(2回目)体重6.1kg
に始まり、20ページにもわたってかりんの受診等の記録が並んでいます。

2021年11月2日:虚脱  入院
これが最後の記録となり、これ以降、記されることは叶いませんでした。

自宅で看取るため、入院していたかりんを連れて帰ろうとした時
「覚悟はしていたつもりだけど、やっぱり…すごく辛いね」という言葉が
 私の口から思わずこぼれました。

「立てなくなってからの世話は本当に大変だけど、よくやってたと思うよ。
 もっと何かできたんじゃないかと自分を責めてしまいがちだけど
 そんなことは思わなくていい、100%頑張ったんだから…」
いつも沈着冷静で、気休めの優しい言葉などかけてはもらえないのですが
ドクターのその言葉に、私の心がふっ…と軽くなったのは言うまでもありません。

それでも、もっとそこに記されていたかもしれない【健康手帳】の空白に
私の心は時折チクンと痛むのでした。

お花に囲まれて

かりんが旅立ってから1週間が過ぎました。

気を張っていたせいなのか、旅立ちから最後のお別れをした次の日あたりまでは
哀しいとか寂しいとか辛いとか、そういう感情に心が占領されることはありませんでした。
むしろ、やっと見送ることができた安堵感のほうが勝っていたかもしれません。
しかし、日を追うごとに気持ちが変化してきました。

寝たきり生活が長かったせいか、ふと、かりんの足音が聴こえるようなことはないけれど
外に出掛けて帰って来た時など、「かりん…鳴いているかなぁ」と思ってしまったり。
かりんがいて、かりんの世話をすることが私たちの生活の一部になっていたので
それが、ある日を境になくなってしまった喪失感は想像以上に大きいものでした。

長い介護生活で覚悟ができていたのではなく、覚悟ができていると思い込ませることで
心のダメージをできるだけ軽くしようと、自己防衛本能が働いていたのでしょう。
「数日経ってから、苦しさや寂しさがどんどん大きくなってきますから…」と
お友だちが心配してくださったとおりでした。

日によっては気持ちが少し楽になることもありますが、時々、その逆もあったりしながら
その都度、感情の波にゆらゆら揺さぶられながらの毎日を過ごしています。

今、かりんはたくさんの綺麗なお花に囲まれています。
「お花クンクン」が好きだったので、瞳をキラキラ☆させながら鼻を近づけていることでしょう。

日々、「かりんは、超・可愛かったよね~」と親バカ炸裂で、Kちゃんと思い出話をしています。
そこに笑いはあっても、哀しみの涙はほとんど出てきません。
かりんを思いながら笑顔になることで、かりんのいない喪失感は少しずつ埋められていくのだと
そう願っているからだと思います。